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脳梗塞の見落としの医療ミス裁判は、なぜ難しいのか?

2023年02月10日 | コラム

脳梗塞を見落とされたという法律相談は沢山あります。患者さんやご遺族は、医療機関に行けば脳梗塞は診断してもらえるはずだと信じているため、診断してもらえず、家に帰ってから意識消失し、後日脳梗塞がわかったりすると、何故あのとき診断してくれなかったのか、詳しい検査をしてくれなかったのか!と思います。その思いは当然です。

しかし、脳梗塞の法律相談に来られると「脳梗塞の見落としの医療過誤はなかなか勝つことが難しい」という厳しいお話をしなければいけないことも多いのです。何故か、を説明していきます。

医療訴訟ではするべき義務をしなかった「過失」と脳梗塞による後遺症という「結果」があり、結果と過失に「因果関係」が必要です。その3つを原告(患者さん側)が証明しなければいけない、立証責任を負っています。

法律相談に行こう、と決断される患者さん達は、医療過誤や医療ミスに違いないと確信しています。脳梗塞になった事実は疑いようがない真実で、その診断の前に病院や診療所に行ったときに何の検査もしてくれなかったことも、事実だからです。すべきことをしなかった!過失だ!と確信しているのです。しかし、裁判などの法律的な損害賠償請求をしようと思うと、過失がある前に、精密検査を行うべき義務、法律的にいえば「注意義務」がある事が必要です。はっきりしない症状、「何となくだるい」とか「目が見えにくいような気がする」とか、「頭が重い感じ」とか、そんな症状を訴えた場合、後から考えればあれは、脳梗塞のサインだったのだ!と患者さんやご家族は思います。スーパーな名医なら、何となくだるくて目が見えにくいと言われて、「こんな症状はじめてですか?」とか「風引いたときと何が違いますか?」とか真実に迫る質問(問診)をしていくことで、実は手の動きも悪かったとか、つまずきやすくて下肢の麻痺もあったとか、話しにくいとかの症状があるのではないか?と思って詳しい検査をすることもあるかもしれません。しかし、スーパー名医ではない、平凡な医者は、「風邪ひきましたか?熱もある?じゃあ、数日様子見て、悪くなったらまた来てね。痛み止め出しておきましょうか?」と説明して、患者さんは「ああ大丈夫だったんだ。何となく頭が重いけれども安心した」と思って帰宅してしまうのです。このストーリーからして、スーパー名医のように色々ポイントとなる話を聞いて、もしかして麻痺があるなら脳梗塞?と考えられるか、その義務があるか、という問題なのです。

この点は、患者さんやご家族にはなかなか理解できないところです。お医者さんなら、具合が悪いと言って病院に行ったのだから、必要な検査をしてくれるはずだという絶大な信頼があるからです。裁判で、「過失」と認められるためには「注意義務がある」、つまり、どんなレベルの医者でも、10人の医者のうち8人か9人の医者は、精密検査をするだろう、という症状があることが必要なのです。典型的なのは、はっきりした症状、突然、手足が動かなくなった!こんなことは今までなかった、という急性発症であれば、医者は脳血管の問題だろうと考えます。10人中8,9人がそう考えます。そうすると、急性発症の麻痺があれば、脳梗塞を疑ってMRI検査をすべき、ということになるのです。患者さんが訴得ていない症状は、カルテに記載がありません。患者さんとしては、先生に説明したのに、と思っていてもカルテにその記載がなければ、裁判で証明することは難しくなります。救急車を読んだ場合なら、救急隊が細かい事実も記載してくれていることがあり、それも証拠になります。ここまでのことでわかるように、過失がある、と言えるためには、精密検査をしなければいけないほどの症状があることが必要なのです。

「先⽣が詳しく検査してくれなかったから脳梗塞の発⾒が遅れ、こんなに重い後遺症になった」と言っても、なかなか過失が認められるためにはハードルが高いことがわかると思います。

典型的な症状があって精密検査はするべきなのに、しなかった(過失がある)場合、患者さんやご家族は、ここで医療過誤だ、医療ミスに違いないと思います。しかし、裁判をするには、さらに大きなハードルがあります。後遺症が起こってしまった結果と、過失が関連しているかという「因果関係」があると言わなければいけません。結果として後遺症が生じている患者さんからすると、精密検査をしなかったからこんなにひどい状態になったので、因果関係がないということがなかなか理解できません。ここも詳しく説明します。法律的な因果関係は、過失がなければ(精密検査をすべきときに、きちんと精密検査をすれば)、結果(後遺症)が起こらなかった、後遺症がなかった、という証明が必要です。しかし、脳梗塞は、MRI検査をして「脳梗塞があります」と言われても、根本的に脳を完全回復できる治療方法は、ないのです。脳梗塞は、簡単に言えば、脳内の血管が詰まってしまって、脳の機能が低下してしまう状態です。血管が詰まったところが、ごく細い血管で、詰まった血液の塊をすぐに薬で溶かすことができれば、脳の損傷は最小限に留められることもあります。しかし、詰まった血液の塊が大きいとか、詰まった血管が太い場合には、溶かす治療をしても、脳の回復はわずかだということがありえます。詰まった血管が太くて、脳が広範囲に一気に損傷されてしまうと、壊れてしまった脳細胞の部分が脳出血を起こしてしまうこともあります。血液を溶かす薬を使うと、詰まった部分だけではなく、脳全体に効果が出るので、かえって脳出血を生じてしまう危険性もあります。MRI検査をして脳梗塞だとわかったとしても、直ぐに、治療ができるとは限らないのです。

条件が揃えば、血液を溶かす治療(tPA治療)を行うことができることもあるでしょう。しかし、薬の合併症として脳出血が起こる可能性がありますし、脳出血が起こってしまったときに対応できる脳神経外科医がいる体制でなければtPA治療を行うことはできません。そのようなときには、脳のむくみを取るような点滴薬の治療を行ったり、脳に適切な血流を保つために適切な血圧管理が必要になります。しかし、あくまで対処療法(これ以上脳梗塞を悪化させないための治療)ですので、脳梗塞自体を直せるわけではありません。

MRI検査を行っていたとしても、脳梗塞に積極的な治療が行えなかった場合には、早く見つけても、遅く見つけても、後遺症は生じたのではないか、ということになってしまい「因果関係」が証明しきれないことになります。

患者さんやご家族からすれば、早く検査してくれていれば今のような後遺症はなかったはずだと確信して相談に来られます。そのお気持ちは十分に理解できるものですし、本当に精密検査をしてくれていれば、後遺症はもっともっと軽かった可能性があります。しかし、因果関係についても、ほぼ確実に後遺症がなかったことを証明しなければならず、80~90%の確実性(高度の蓋然性)を裁判所に伝えることが求められます。

現在の医療の限界として、脳梗塞の劇的治療法はtPAぐらいしかなく、厳しい条件をクリアしたケースにだけtPA治療が行えるということからすると、ほとんどのケースは、裁判で勝つことは難しい、ということになってしまうのです。
この現実を本人やご家族にお伝えするのは、非常に心苦しい法律相談になります。

このような脳梗塞の難しさに敢えて果敢に挑戦された医療ミスの裁判例もあります。一つ紹介しておきます。⼤阪地裁平成28年3⽉8⽇判決では、もともと右脳梗塞の既往があった原告(患者さん)が平成22年11⽉2⽇、痙攣を起こして緊急搬送され、痙攣に対する薬を点滴して痙攣は⽌まりましたが、意識状態がはっきりせずぼんやりしていたので⼊院することとなりました。 入院してから失禁し、返答がなく、意識レベルがどんどん下がり医師はてんかんが再発したと判断しました。しかし、その後も表情はぼーっとし、手足の脱⼒がありました。医師は頭部CT検査を⾏いましたが、脳梗塞と診断せず、経過観察。その後、一度意識状態は改善しましたが、失語状態になりました。もう一度、頭部CT検査を⾏ったところ、脳梗塞を疑う所見が現れてきていました。裁判所は、「事後的に⾒れば、入院した頃に脳梗塞を発症していたと考えられるけれど、症状は、てんかん発作とも新たな脳梗塞の症候と考えてもどちらも考えられるから、原告のけいれんの症状があったからと言って、直ぐに脳梗塞だと診断ができるものではなかったとして、始めの痙攣を起こして入院したときには義務がない、つまり、過失を否定しました。しかし、2回目のCTを取ったところでは、早期に脳梗塞か否かを鑑別するための対応をする必要があった、過失があったと考えたのです。そして、今回は治療できる脳梗塞だった、ということも考えると神経症状を少しでも改善できた可能性はあったと指摘しました。

さて、過失があって、多少後遺症が軽くできたと判断した裁判所は、何円の賠償を認めたと思いますか?後遺症の全てを考慮すれば何千万円の賠償を請求していたはずですが、裁判所が認めたのは150万円とごく僅かでした。裁判所は「後遺症を軽減できた相当程度の可能性を侵害されたことによる慰謝料として150万円」と結論付けています。

患者さんやご家族にとって重い後遺症が残った状態からすれば、150万円はあまりに僅かな金額です。「過失がある」精密検査をすべきだったのに、しなかった、と裁判所入っているのに、後遺症を完全に避けることはできず、ある程度(相当程度)、後遺症が軽かったかもしれない、というところを150万円としたのです。

このような裁判所の考え方は、患者さんやご家族にとってはあまりに冷たいものだという印象でしょう。しかし裁判所としては、「過失」はあっても「因果関係」がなければ本当なら、0円が原則であるところ、それでは可愛そうだから、わずかでも救済してあげているのだ、と言う理屈のようです。

このような日本の司法制度の限界を、患者さんやご家族に伝えるのは本当につらいです。そもそも全ての証明を患者さんがしなければならない、立証責任が患者さんに負わされているということが問題なのですが、損害賠償請求をする側が、請求したいなら証明しなさい、という日本の司法制度の限界です。

なぜ、脳梗塞の裁判が難しいのか、正確にお伝えすることは本当に難しいですが、このコラムが、一つの参考になれば幸いです。

医師・弁護士 富永 愛(大阪弁護士会所属)

この記事を書いた⼈(プロフィール)

富永愛法律事務所
医師・弁護士 富永 愛(大阪弁護士会所属)

弁護士事務所に勤務後、国立大学医学部を卒業。
外科医としての経験を活かし、医事紛争で弱い立場にある患者様やご遺族のために、医療専門の法律事務所を設立。
医療と法律の架け橋になれればと思っています。
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